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Georgie Fame / ジョージィ・フェイム

Georgie Fame / ジョージィ・フェイム



60年代のロンドン・モッズシーンを代表するヴォーカリスト&オルガン奏者・ジョージィ・フェイム。

ジョージー・フェイム(本名クライヴ・パウエル)は1943年6月26日、イングランドのランカシャー州のリーに生まれた。やがて50年代のアメリカン・オリジナル・ロックンロールの数々に刺激された彼は、ロンドンに進出。60年の2月にはジーン・ヴィンセントとエディ・コクランの英国ツアーに参加し、同年の夏にはビリー・フューレイのバック・バンドだったザ・ブルー・フレイムズに加入した。そしてフューレイの元を離れて61年の末には、ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズとして本格的に活動するようになる。ソーホー地区にあった伝説のフラミンゴ・クラブに出入りするようになった彼らは、やがてその店の看板的存在として脚光を浴びるようになった。いわゆるモッズ・R&B・デイズの始まりである。65年1月にはモンゴ・サンタマリアが原曲となる「イエ・イエ」を全英チャートの1位に送り込む一方、イギリス公演に来ていたモータウンのパッケージ・ショーに唯一の英国組として加わり、シュープリームス、スティーヴィ・ワンダー、マーサ&ザ・ヴァンデラスらと共演するなど、人気を博していく。

65年にザ・ブルー・フレイムズが解散してからは、ハリー・サウスのビッグ・バンドと共演してジャズ志向を打ち出したり、弦楽奏団とのイージー・リスニング・アルバムを作ったりと、フェイムは自らの音楽的領域を次第に広げていく。本人の意に沿ったものではなかったと伝えられるヴォードヴィル調の「ボニーとクライドのバラード」にしても、67年の暮れに全英で1位となるだけでなく、全米チャートでも4位までランク・インするなど、結果的には彼最大の成功をもたらせた。同時代の英米シンガー・ソングライターたちの作品を取り上げた71年の『ゴーイング・ホーム』や、元アニマルズのアラン・プライスと共同名義で作った『フェイム・アンド・プライス』(71年)、あるいはオリジナル作品を書くことが殆どなかったフェイムが珍しく自作曲ばかりで臨んだ“All Me Own Work”(72年)といったアルバム群も、彼のそうした音楽的意欲を反映したものだった。80年代に入ってからは活動の拠点を欧州に移すなど、やや活動が地味になってきたものの、コンスタントに作品をリリースして熱心なファンの支持を集め続けてきた。
 
そんなフェイムが再び熱く音楽シーンに迎え入れ始めたのは、80年代も終ろうとしていた頃。60年代から親交があったという英国きっての偉大なるヴォーカリスト&ソングライターであるヴァン・モリソンと邂逅を果たし、ヴァンのバンドでキーボード奏者として、バンド・マスターとして活躍し始めたフェイムは、当時とかく宗教的になりがちだったヴァンの音楽に風通しのいいR&Bグルーヴをもたらし、ヴァンの音楽をまた新たな次元へと導き出していった。冒頭に触れたようにモッズの復興やレア・グルーヴ・ムーヴメントによるR&B再訪も、フェイムの再評価を後押ししていった。

そんな中89年ツアー先のオーストラリアのパースでフェイムで共通の友人を通じフェイムとベン・シドランが出会う。意気投合した2人はベンが主宰する"Go Jazz"レーベルより『クール・キャット・ブルース』(90年)と『ザ・ブルース・アンド・ミー』(92年)という2枚のアルバムを制作。
その後も2人が敬愛するモーズ・アリソンの作品集“Tell Me Something”(96年)で共演したり、再び"Go Jazz"レーベルでタッグを組み『ポエット・イン・ニューヨーク』(00年)をリリース。ヨーロッパでは互いの息子たちをサポートに従えライブ活動も行っている。

Georgie Fame(ジョージィ・フェイム)オフィシャルサイト
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EVERY KNOCK IS A BOOST: THE GO JAZZ YEARS
2008.3.5

POET IN NEW YORK
2008.3.5
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